* * *
午後の古沢家。
昼寝でもしたくなるような穏やかな陽射しが差し込むリビングでは、中年の男と妙齢の女が神妙な顔で向かい合っていた。
「いよいよ、奥さんとも今日でお別れですね」
飲みかけのカップに口をつけてから、黛がおもむろにそう切り出す。
「え、ええ……」
待ち望んでいた瞬間を迎えたはずの希恵子だが、その表情はどことなく重い。
「当初のお約束通り、和臣くんに借金の返済は不要と伝えておきました。疑われる心配はまずないと思いますので、どうぞご安心を」
相変わらず高そうなスーツを身にまといながら笑顔でそう説明する黛の風体は、一見すると仕事のできる営業マンか何かのよう。
実際、無能ではないのだろう。
この三ヶ月の間、希恵子は幾度となく黛のスペックの高さを思い知らされてきた。そして、それは同時に、夫である和臣の足りない部分を見せつけられるということでもあった。
(何を、そんな……)
心中に湧き上がる思いを打ち消すように、希恵子が小さく首を振る。
比較する必要などない。大事なのはたった一人。自分が人生の伴侶としてともに歩む相手は和臣以外いないのだ。
過去も、現在も、そして、未来も。
「では、そろそろおいとまするとしましょうかね」
残りのコーヒーをぐいっと一気にあおると、黛はソファーから立ち上がって、軽い足どりで玄関へと歩を進めた。
「……」
希恵子も無言のまま腰を上げると、黛の背中を追うようにしずしずとその後に続く。
(あ……)
しまったと、思った。
見送りなどするつもりはなかった。それはそうだろう。自分に陵辱の限りを尽くしたこんな下種男に尽くす礼儀など、どこを探したって見つかるはずもない。
だがそれでも、希恵子は当然のように黛に付き従ってしまった。至って自然な動きで、去りゆく男の後ろ姿を追いかけてしまったのだ。
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