ありふれた賃貸マンションの、ささやかなリビング。
「おや、眠ってしまいましたか。舘野(たての)くん」
正面の席に座る来島睦夫(きじまむつお)が、テーブルに突っ伏して酔いつぶれてしまった夫の佳高(よしたか)をちらりと見やった。
「本当にすいません、この人ったら。目上の方にお越しいただくなんて初めてですから、少しはしゃいでしまったのかも」
羽織っていたカーディガンをかけてやると、私は眠る夫の心証を悪くしないように、相手をさりげなく持ち上げて言葉を返す。
「そうですか。それはどうも、恐縮です」
来島が頭を下げると、薄くなった頭頂がぽんと視界に飛び込んできた。
会社で人事部長を務める来島はもう五十の坂を過ぎたちんちくりんの小男で、髪はいわゆるバーコード。一見するとそう悪い人でもなさそうなのだが、いかにも小心そうな目つきと猫背気味の姿勢が、全身から漂う中年の物哀しさをいっそうはっきり際立たせている。
「どうですか? 部長さんだけでも、もう一杯。新しい瓶、お出ししますので」
私は愛想笑いを浮かべながら、手元の温くなったビールを片付けにかかった。
『明日人事部長が家に来ることになってさ。急で悪いけど準備頼むよ、里絵(りえ)。多分、いや、間違いなく今後の出世の話だと思うしさ、大事な接待なんだ』
昨晩突然そう言われ、急いで酒と料理を用意。ここまでは大過なく部長のお相手をしてきたわけだが、肝心の夫が大事なところでこのざまだ。ここは妻として、しっかりフォローをしておく必要があった。
「ああ、いや、結構。もう十分にいただきました」
だが来島は私の動きを制するように手を上げると、空のグラスをそっと脇に寄せた。
「それに、奥さんにお伝えしておきたいこともありますので」
真剣な眼差しで、テーブルに置いた手を組む。
「私に……ですか?」
座り直して聞き返す私をまっすぐ見据えて頷くと、来島は重々しい調子で口を開いた。
「実を言いますと、舘野くんは次の人事でリストラされる可能性があります」
「……え?」
いっぺんに血が落ちる嫌な感触が、私の顔面をさーっと走る。
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