「こらこら、それじゃあ私がまるっきり女を食い物にしているとんでもない大悪党みたいじゃないか。なあ、和臣くん」
「あはは、本当ですね。黛さん、いい人なのに」
和臣を味方につけると、黛は勝ち誇ったような顔でマスターに笑いかけた。
「ほら見ろ。分かる人には分かるんだよ、マスター」
「いやいや、そいつはどうでしょうねえ。騙されちゃダメですよ、古沢さん」
「ちょっとちょっと、何なんだこの店は。この天下の黛匡一を捕まえて何と無礼な」
「ははは」
黛とマスターの息の合ったやり取りに、和臣もリラックスした様子で顔をほころばせる。
「で、だ」
ひとしきり漫才を終え、マスターがその場を離れたところで、黛がそっと声を潜めた。
「その後どうなんだい? 奥さんとは」
唐突な質問だったが、和臣はその「どう」が何を意味しているのか、すぐに理解した。
「い、いえ、それが、まだ……」
「そうか……不憫な話だ。綺麗な奥さんがいるのに夜の生活が充実しないというのは、何とも間尺に合わん。おかしなことだ」
黛がやや憤慨したような調子で言うと、申し訳なさそうに和臣がうつむく。
「す、すいません……何しろ、僕が至らないもので……」
「ん? ああ、いやいや。別に君を責めているわけではないよ。何で世の中というのはこうもままならぬものかね、という話だ」
「え、ええ、本当に……」
情けなく黛に同意しながら、和臣がジントニックを一口、ちびりとすすった。
「ふむ……」
黛が腕を組んで、何やら考え事を始める。
「よし」
すぐに、とんちでも思いついた小坊主のようにぽんと手を叩いた。
「どうだろう、和臣くん。ここは一つ思い切って、今晩奥さんと愛し合ってみては?」
「え、えぇっ?」
和臣は、口に含んだ酒をぶーっと吐き散らしそうになる。
「やはりね、人間意志の力は大事だよ。肉体的な問題がないのなら、あとは気持ちの問題だ。できないからといってやらなければますますできない。つまり何としてもやるという心構えが重要になるんだ。心と身体は、連動するものだからね」
「そ、そういうものですか」
滔々と演説をぶつ黛に、和臣は目を白黒させながら言葉を返した。
「ああ、そういうものだ。なーに、触れ合ううちに忘れていた感覚を思い出す、ということもあるだろう。結果を気にせず、とにかくやってみること。まずは、そこからだ」
黛がぽんぽんと、励ますように和臣の背中を叩く。
「……」
無言のままグラスに口をつけると、和臣は腹を決めたようにこくりと一つ頷いた。
「……分かりました。では今晩、やってみることにします」
「うん、それがいい。じゃあ、私はこれで失礼させてもらうよ。君も今日は早く帰ってやるといい。ああ、マスター」
黛は無駄のないスマートな所作で二人分の支払いを済ませると、
「では、健闘を祈る」
最後にそれだけ言い残して、音もなく『BAR・SWAP』を去っていった。
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