「最初は、ちょっと小遣い稼ぎをするだけのつもりだったんです。希恵……妻には僕のせいで苦労ばかりかけてますから、少しでも家計を楽にできればと……なのに、何で、こんな……」
黛はレコーダーの電源を切ると、そのまま機体をスーツの内ポケットに戻した。
「ま、お聞きの通りです。奥さん思いのいい旦那さんですね、和臣くんは」
「……」
ほとんど嫌味にしか聞こえない黛の言葉を、希恵子は沈黙で受け流した。
和臣は演技ができる性格ではない。嘘をつけば声や態度にはっきり出る。それがこうも真に迫った言葉を吐くということは、借金は存在するとみて間違いないのだろう。
実際、古沢家の財政事情は苦しかった。
和臣の勤務する会社は元々社員の待遇がいいわけではなく、当然給料も安い。
和臣自身も決して要領のいいタイプではなく、ほどほどに働いて報酬だけ手にする発想とは無縁。それどころか、定時に仕事が終わらないのは自分の責任だからと進んでサービス残業をするほど生真面目な性格であるため、収入アップなどは初めから望むべくもなかった。
希恵子も家計を預かる主婦として精一杯切り詰めてはいたが、それにも限界がある。
「わたしも、何かお仕事した方がいいと思うんだけど……」
「うーん……それは……どうかなあ……」
一時はパートに出ることを考え、和臣に相談してみたこともあったが、返事はあまり芳しいものではなかった。
多分、男のプライドというやつだろう。
希恵子からすれば何とも理解に苦しむ感情ではあったが、それでも夫を傷つけてまで働きに出るのは自分の意に反した。
だが――。
(あの時、わたしが……)
多少無理を言ってでも働きに出ていれば、こんなことにはならなかった。
自分の遠慮が最悪の方向に転がってしまったのを悟って、希恵子は深い後悔の念を覚えずにいられない。
(気づいてすら、あげられないなんて……)
いかに夫を信じて疑うことがなかったとはいえ、隠し事の下手な和臣のこと、注意深く観察すれば必ずどこかに異変は見えたはずだ。
にもかかわらず、希恵子はぼんやりと日常を過ごすうちにそれを見逃してしまった。
別にわたしが借金を作ったわけではない。
いくら夫婦でも、打ち明けてくれないものは分かりようがないだろう。
そもそも働きに出なかったことだって、夫の強い意志を尊重したからではないか。
そんな風に自分を正当化して、全ての責任を和臣に押しつけることができれば、話は簡単に終わったかもしれない。
だがそれをするには、希恵子の性格はあまりに潔癖で、あまりにも純真すぎた。
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