希恵子と黛は、今日が初対面であった。
夫の和臣から行きつけのバーで知り合ったと名前だけは聞いていた希恵子だが、実際に顔を合わせるのはこれが初めてとなる。
「夫がいつもお世話になっております」
突然の不躾な来訪者にも礼儀として一応頭を下げた希恵子だが、胸の内では全然違う感情を抱いた。
(嫌な、感じ)
それが希恵子から見た、黛の第一印象。
遊び慣れた感じの風貌にぎらついた雰囲気をぷんぷん醸す鋭い目つきが不快感を誘った。
和臣より一回りも年上だが、温厚でいかにも善良そうな夫と比べると油っぽいエネルギーの差は歴然。こういうタイプの男が、希恵子は昔からどうにも苦手である。
だが今は、自分の好みをどうこう言っている場合ではない。
「お、夫は、なぜ借金を?」
絞り出すように、希恵子が尋ねた。
「どうやら投資に失敗したようです。FXか何かだったらしく、元手よりもマイナスになってしまったんですな。で、それを取り返そうと焦ってさらに手を広げ、気がつけば借金まみれになっていた、と。そういうわけです」
黛は冷静に、講義でもするような調子で経緯を説明する。
「そ、そんな、ことが……」
希恵子はそう言ったきり、二の句を継ぐことができなかった。
にわかには信じがたい話だった。真面目で誠実でお人好しが取り柄の和臣がそんな大それた真似をするなど、希恵子には想像すらできなかった。
「失礼ですが、その……し、証拠はあるんですか?」
「証拠ですか? ええ、ございますとも」
詰め寄る希恵子をいなすように笑うと、黛はスーツの懐へ手を伸ばした。
「こちらを、お聞きください」
小型のICレコーダーを取り出し、再生を始める。
「黛さん、僕は……僕は、もう駄目です」
「!」
その一言を耳にした瞬間、希恵子は大きく目を見開いた。
それは自分が愛する夫の、誰より間違えようのない男の、初めて聞く絶望に満ちた、声。
「落ち着くんだ、和臣くん」
「そう言われても、こんなことになってしまって、僕はもうどうすればいいのか……」
ぐす、と鼻水をすする音が、スピーカーから耳障りに響く。
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