「ふむ……」
怒りとも不満とも異なる、何とも無感情な呟きを発したかと思うと、黛は希恵子の肉感的な肢体をじっと見つめ、何をするでもなく黙った。
(な、何?)
意味不明な黛の態度に、希恵子が当惑する。
急かされることや力ずくで襲われることなら頭の片隅でちらりと考えたが、こんな事態など完全に想定外であった。
(どういう、こと……?)
不安そうに、黛の様子を窺ってみる。
だが、その浅黒く精悍な顔に、特別な変化を見出すことはできない。
(やめて、くれるの……?)
都合よくそんなことを考えてもみたが、さすがにそれはないとすぐ打ち消した。
(……あれ?)
希恵子の耳に、何やら聞き慣れない音が入ってくる。
コツ、コツ、コツ、コツ……。
時計のように正確なリズムの出どころを探ってみると、発信源はどうやら椅子のひじ掛けに乗る黛の右手。
「……?」
相手の意図をつかみかね、希恵子が不思議そうに首を傾げた。
だが黛は表情一つ変えないまま、なおも指先をとんとんと上下させるばかりだ。
(何だっていうの……?)
たじろぐように、希恵子が半歩後ろへ下がった。
すると、希恵子の動きに呼応するように、黛がひじ掛けを強く叩き始める。
ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ……。
さっきまでの乾いたものとは違った、濁りを含むノック音が室内に響いた。
(もしかして……)
希恵子が察しをつける。
この男は、無言のうちに自分を威圧しているのだ。
一定のリズムでこつこつ椅子を叩くこの行為で、希恵子の精神的な逃げ道を奪う腹づもりに違いない。
黛は変わらず無表情だが、そう考えればその指から放たれるメッセージはどんな言葉よりも明快に思えた。
「……」
仕方が、ない。
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