静かな店内でも一番落ち着いて話ができるとおぼしき、窓際端の二人席。
注文を済ませて料理が来るのを待つ間、希恵子と和臣の話題は自然に昔の思い出へと移っていった。
「わたし、まさかあのカフェで告白されるとは思ってもみなかった」
「だ、だって、あの頃はあそこが一番のお気に入りだったし……」
希恵子の発言に、和臣がもごもごと口ごもる。
「ふふ、そうよね。和臣さん、しょっちゅうあそこのコーヒー飲みに行ってた気がする。でももう少しロマンチックな場所はなかったの?」
「う……だ、だからプロポーズはその反省を踏まえてここにしたんじゃないか」
少々意地の悪い口調で尋ねる希恵子に、和臣は決まり悪そうな顔でぼそりと言い返した。
「プロポーズかあ……何だか懐かしいなあ。もうずーっと昔のことみたい」
遠い目で窓の外を眺める希恵子に、和臣が首を振って語りかける。
「僕はまだ昨日のことのようだよ。あの時には付き合いも結構長くなっていたから最初の告白よりは少し余裕があったけど、それでも心臓はずっとばくばくいってた」
「うんうん、覚えてる。あの時の和臣さん、すっごくかわいかった」
「か、かわいいって……じゃ、じゃあ、今は?」
「え? 今? うーん、今は……素敵、かな。あの頃よりも、ずっと」
「……き、希恵子さん……」
「も、もう、やだ」
感激の面持ちでまじまじと自分を見つめる和臣の視線を、希恵子は照れ臭そうに下を向いて受け流した。
「でも、わたしは、もう……」
うつむいたまま、口が開く。
「そんなことはないよ」
希恵子の言葉を遮るように、和臣が痩せた身体をぐっと前に乗り出した。
「希恵子さんは昔も今も、そしてこれからもずっと綺麗だ。少なくとも僕にとっては、永遠に君が一番。何があったって、それが変わることはないよ」
「……和臣、さん……」
希恵子がぽかんとした顔になる。
「あ、あはは」
言い慣れない気障な台詞を気張って口にしたせいか、和臣は頬を紅潮させながら、いかにも居心地悪そうな様子で視線をあちこちに彷徨わせた。
「……」
恋愛に慣れない子供を思わせる夫のそんな姿を、希恵子は愛おしそうに、黙って見つめる。
(やっぱり……今、ここで話そう)
そんな考えが、前触れもなしに胸の奥からむくむくと持ち上がってきた。
それが、最善の選択に思えた。
この人にこれ以上、隠し事なんかしたくない。
この善良で優しすぎるほどに優しい夫を裏切り続けることが、希恵子にはどうしようもなく忍びなかった。
お互いに偽りなく、今の気持ちをありのままにぶつけ合えば、どんな困難だってきっと乗り越えられる。
今聞いた和臣の言葉に全てを賭けてみようと、思った。
『また、ここから始めてみるのもいいかと思って』
和臣はさっき、そう言った。
その通りだ。
ここから、もう一度始めるのだ。
積み重なった嘘や裏切りをお互い全部放り捨てて、何もかも初めから二人の夫婦生活をやり直していくのだ。
和臣と自分なら、それは、可能なはずだ。
「あ、あのね、和臣さん――」
勢いのままに、希恵子が話を切り出そうとする。
――だが、まさにその時。
「お待たせいたしました」
料理を運んできたウエイトレスが、二人に向かって恭しく一礼を捧げた。
食欲を誘うスパイスの香りが、湯気に乗ってぷんと希恵子の鼻をつく。
「あ……」
思わずそちらに意識を奪われてしまい、希恵子は続きをためらうように口を閉ざした。
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