「ふふ。こいつはなかなかいい眺めだ」
優越感に満ちた表情でベッドから下りると、露木はつかつかと咲野子に歩み寄り、形のいい頭にどっかと右足を乗せた。
「っ……!」
「ほら、もっとちゃんとこすりつけろよ。ほら、ほら、ほら、ほら」
屈辱に顔を歪める咲野子を見下ろし、嗜虐の笑みを満面にたたえながら、汚い足で押し潰すように何度も何度も後頭部を踏みつけにする。
「ぐっ……ぬっ……!」
雅文は、沸騰した血液が頭に逆流してくるのを感じた。今すぐ部屋に飛び込んで露木を殴り飛ばしてやりたいという衝動が、胸の奥でマグマのようにたぎる。
(だ、ダメだ! こらえろ!)
両手で自分の腿をがっしとつかみ、上から押さえつけるように握りしめた。
露木を自宅に泊め、その間に交渉を持ちかけると言い出したのは他ならぬ咲野子なのだ。
『真穂のためですから』
咲野子は冷たくそう言ったが、言葉の裏に別な意味が隠れていると気づかぬほど薄っぺらな夫婦生活を送ってきたつもりもない。
長い間連れ添った妻として、どうにか救いの道を探ろうとしてくれている咲野子の思いを、夫である自分がぶち壊しにするわけにはいかなかった。
「へえ、これでも怒りませんか。いやいや、娘を思う母の愛、実に感動的でございますね」
茶化すように言いながら、露木がゆっくりと足を床に戻した。
「では、その美しき母性愛に免じて、一つ提案して差し上げましょう」
「……」
咲野子がちらりと、上目遣いに露木を見やる。
「奥さんはとりあえず一晩、僕に奉仕をしてください。その内容に三千万の価値があると判断すれば、ご希望通り全てをチャラにしてあげます。そこまではいかなくても、場合によっては奥さん一人の労働力で返済する契約に変更するかもしれません。まあ、要は奥さんを試食したその結果しだい、というわけです」
「……わたしに……わたしにできることなら、何でもします」
これ以上の譲歩は引き出せないと悟ったのか、咲野子は神妙な声で言った。
「ふふ、いい心がけです。では、早速身体を見せてもらうことにしましょうか。脱いだら気をつけをして、名前とスリーサイズ、あとカップサイズも言ってください」
濁った両眼に陰険な喜色を漂わせながら、露木が咲野子に命令を下す。
「は、はい……」
咲野子は手を震わせながらネグリジェを脱ぎ捨てると、言われた通りの姿勢で口を開いた。
「実原……咲野子です。う、上から、八十六、六十二、八十五。カップはD……です」
「ふーん」
露木は身体を屈めると、ほんのり脂の乗りかかった咲野子の腰回りをしげしげと眺めた。
「この辺ちょっとサバ読んでる気もしますが、まあそれくらいはよしとしてあげましょうか」
舌を出すと、先端をれろれろと動かし、下腹部にうっすら残る妊娠線を軽くなぞる。
「うっ……」
おぞましい感触に、咲野子が眉間に深いしわを寄せながら固く瞼を閉じた。
「ふん。味はまあまあ、悪くなさそうですね」
そう言って背筋を伸ばした露木が、咲野子のあごをつかんでぐいと引き寄せる。
「ほら、舌を出して」
「ん……」
微かな躊躇の色を残しながら、咲野子が薄紅の舌先をちろりとのぞかせた。
「ふっ」
「う、んんっ!」
狭い入口を強行突破するように舌をねじ込まれると、咲野子はたまらず口を割ってしまう。
「ふ、ふんっ、ふぅうっ……」
「ん、んんっ、んぐっ……」
ねっとりと濃厚な、唾液の交換が始まった。
二本の舌が、まるで意志を持った別の生き物みたいにうねうねと絡み合う。ぴちゃぴちゃと粘っこい水音はいやが上にも興奮をかきたて、夫婦の寝室をさらに淫猥な場へと変貌させた。
(あ……ああ……)
雅文はドアの裏側にへばりついたまま、妻の唇が強奪されていくさまを凝視していた。
握り拳がわなわなと震える。胸が苦しく、息は詰まった。脇の下に一筋、また一筋と流れる冷たい汗の感触だけが、気持ち悪いほどはっきり脳髄の奥に伝わってくる。
(咲野子の唇が、あの柔らかくて瑞々しい唇が、あんな男に……)
呆然と立ち尽くしたまま、棚の上にある写真立てを見つめた。
飾られているのは、純白のウェディングドレスに身を包んだ咲野子と似合わないタキシード姿の自分が誓いの口づけを交わしている、人生最高の瞬間を記録した一枚。
あの日、雅文は幸せだった。
咲野子という素敵な女性が、ずっと自分の傍にいてくれる。そう考えただけで頭はふやけ、身体はとろけてしまいそうになった。何もかもがバラ色で、これから先の人生、いいことしか起こらないような気分にすらなったものだ。
それが、今は――。
「ふう……」
ひとしきり咲野子の口内を貪り尽くすと、露木は満足げな顔でずるりと舌を抜いた。新月を思わせる弧を描いた細い唾液の筋が、糸を引くように二人の顔をすっとつなぐ。
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